| 中世ヨーロッパの修道院の僧が、通風に悩むハンガリー王妃のためにローズマリーなどを主とした痛み止めを献上したところ、とてもよくなり70歳を越えて、隣国の王子に求婚されるほどに。この薬はのちに、「若返りの水」と伝えられることになりました。
植物を用いた治療法は、印刷技術の発明により「薬草誌」という書籍となり、16世紀には多くの人々が知ることができるようになりました。これらの知識はポマンダーやサシェ、タッジーマッジー、ストローイングハーブなどとして、防虫や殺菌、悪疫を防ぐなどの目的に用いられました。
16世紀頃からはディオスコリデスやアウィケンナなどの古典をもとに植物学、医学などの発展に活躍した人々が現れはじめます。 イギリスのジョン・ジェラード(1545-1612年)は薬草園をつくり、薬草誌にまとめました。ジェラードの時代には植物を用いる方法と医学とは対立するものではなく、彼は名声を得ているわけですが、その1世代後になると、状況は変化します。
17世紀には化学合成物質が現れ医療に用いられ始めます。たとえば水銀のような有毒なものが梅毒の治療に用いられたりしました。ニコラス・カルペパー(1545-1612年)はこうした有害物質を使用する医師たちを弾劾しました。また、それまでラテン語で書かれていた医学書を翻訳したり、貧しい人々の診療をするなど、医学を人々の身近なものにしようとしました。
ところがこうした行為は医師たちの独占をゆるがすものとして怒りをかい、非難されたのです。 しかしながらカルペッパーは多くの著作、翻訳を残しました。369種の植物の特性や用途について記されている「カルペッパーの薬草誌」という書物は価値のあるものとして知られています。
18世紀〜19世紀、近代化学の発展にともない、植物の中の様々な物質が明らかにされました。 植物の中の有効成分だけを取り出すといった探求は、植物、あるいは精油そのものを全体として利用していたそれまでの方法から離れるものでした。
こうして20世紀になり、ガットフォッセによって再発見されるまで植物の療法が失われたヨーロッパとは異なり、インドや中国ではこれらは伝統的に続いていました。
|